『メサ・オブ・ロストウーマン』(1953)『月のキャットウーマン』(1953)(ネタバレ)#🎞️🍿
(1960年代のマーベルコミックを理解するために50~60年代の怪奇映画を観る部)
こんな映画(こんな映画)の感想で過去一長い記事になってしまった » more 『メサ・オブ・ロストウーマン』(原題:Mesa of Lost Women)(1953) 〈銃を持った狂人が飛行機をハイジャックし、孤立した砂漠に不時着する。そこでは異常な科学者が巨大蜘蛛、ドワーフ、不滅の女性と共に実験を行なっているのであった。〉
(メサ・オブ・ロスト・ウーマン-Filmarks)
エクスプロイテーション映画の分野で活躍したロン・オーモン監督による、アメリカの低予算SFホラー映画。
タイトルのメサはスペイン語で「机」を意味する乾燥地帯に見られるテーブル状の台地のこと。
原題の示す通り「女性たちが失踪する台地」が物語の中核となっている。
『月のキャットウーマン』(原題:Cat-Women of the Moon)(1953)
イギリス出身の映像編集者アーサー・ヒルトンが監督を務めたSFホラー映画で、音楽はあのエルマー・バーンスタインが担当。
『メサ〜』で使われた1950年代式の巨大蜘蛛の小道具(大きいが)が再利用されていると知って鑑賞しました。
ちなみにこの大蜘蛛は『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』(原題:Tarantula)(1955)や、この映画をリメイクした『月へのミサイル』(原題:Missile to the Moon)(1958)にも使い回されているらしいです。
この映画はアメリカではカルト映画としての地位を確立しており、『SF大百科事典』では「(不条理だが)史上最も影響力のあるSF映画の一つ」に位置付けられているとのこと。
セットや衣装がありえないほど安っぽいのですが、上映当時は3D映画として公開されていたらしいです。
学芸会のカキワリみたいなセットを3Dで観てどうするというのか
この映画単体で勧める理由はあまりないですが、『メサ〜』では把握できなかった巨大蜘蛛のサイズ感が確認できる、アメリカの映画の歴史を押さえられる、『アメリカン・パロディ・シアター』(1987)がより楽しめるという点において鑑賞して損はないと思います
そもそも『アメリカン・パロディ・シアター』を予習して挑む人間は理由なくてもこの映画観そうだけど
リメイク版の『月へのミサイル』(原題:Missile to the Moon)(1958)も気になるけど画像検索したらちゃんと荒野でロケしてて感動しました。
でも宇宙船の椅子は事務用のままだった。その描写ってもしやこだわりあるのか?逆に « close
(1960年代のマーベルコミックを理解するために50~60年代の怪奇映画を観る部)
こんな映画(こんな映画)の感想で過去一長い記事になってしまった
『メサ・オブ・ロストウーマン』(原題:Mesa of Lost Women)(1953)
エクスプロイテーション映画の分野で活躍したロン・オーモン監督による、アメリカの低予算SFホラー映画。
タイトルのメサはスペイン語で「机」を意味する乾燥地帯に見られるテーブル状の台地のこと。
原題の示す通り「女性たちが失踪する台地」が物語の中核となっている。
舞台はメキシコ。広大なムエルト砂漠を彷徨う一組の男女が石油会社の従業員に保護される。医務室で意識を取り戻したパイロットのグラントは、自身と連れ合いの女性ドリーンの身に起きた奇妙な出来事について語り出す。
遡ること1年前。高名な科学者であるレランド・マスターソン博士は、砂漠の地下施設で研究を行うアラーニャ博士(スペイン語で「蜘蛛」の意)に招かれ、メキシコのザルパ・メサを訪ねていた。
アラーニャ博士の卓越した理論に興味を持ち感心していたマスターソン博士。
しかし彼が地下の研究施設で見たものは、アラーニャ博士の実験により創造されたテレパシーで操作できる巨大なタランチュラと、蜘蛛の成長ホルモンを注入され蜘蛛の能力と本能を備える蜘蛛人間に改造された女性たちであった。…
鑑賞する際の注意点として
・冒頭の冗長かつ難解なナレーション
・回想形式なのに、語り手であるグラントが知る由もない「1年前の博士の体験」が延々と語られるシナリオの破綻
・巨大蜘蛛の見せ場がマスターソン博士の回想シーン中の1秒くらいしかないし、1秒しかないのでサイズ感すら不明
・アラーニャ博士の研究施設の見せ場もほぼマスターソン博士の回想シーンにしかない
・マスターソンさんが可哀想
・終盤に主人公と蜘蛛人間たちの大立ち回りがあるのかと思いきや、マスターソンさんが自分を犠牲に研究所を爆破し、突発的に終わる
などがあり、特に冒頭に発生する多数の違和感を飲み込みながら鑑賞を続けるのが肝要
そうでないと「グラントの回想シーンの筈なのにグラントが全然出てこない」と戸惑っている間にアラーニャ博士の研究施設の見せ場が全て終わります
普通後半にも見せ場があるだろと思うけどこの映画はそんな常識的な作りをしていません
ただアラーニャ博士の実験のせいで正気を失ったマスターソン博士が“暴走する狂人”として物語を牽引するという捻りは面白いです
Filmarksのあらすじにある「飛行機をハイジャックする銃を持った狂人」がマスターソンさんだと分かったときは笑った
この映画は蜘蛛人間よりも正気を失ったマスターソンさんの方が断然怖い
蜘蛛人間方面を掘り下げると、アラーニャ博士の創造した蜘蛛人間のなかでも一際異彩を放つのがタランテラ(タンドラ・クイン)で、彼女は蜘蛛の力によって切断された四肢を再生でき、数世紀にわたる寿命を持つという、博士の期待を一身に背負った成功体。
一方で男性の実験体は副作用で体が矮小化し(実際に小人症の俳優がキャスティングされている)、研究室で博士の小間使いとしてこき使われる有様。
設定として昆虫界では雄は大した働きをしていないので、男性の実験体に蜘蛛の成長ホルモンを投与するとドワーフ化するらしいです。はあ?
そして巨大なタランチュラは全然画面に出てこない。巨大蜘蛛目当てに観たのに
なかなかいいなと思ったのは、終盤の台地でグラント、ヒロインのドリーン、その婚約者で実業家のヤン・ヴァン・クロフト、ヤンの使用人ウー、正気を失ったマスターソン博士が一堂に会すシーン。
ドリーンが髪につけていたコームが消えたことに気づいたヤンが、「あの櫛は我が家の家宝だ」と使用人のウーに森を捜索するよう言い出します。
「よく仕えるものは危険な時も仕えるものだ」と言いグラントから懐中電灯を取り上げ森の中へ進もうとするウー。それを見ていたマスターソンさんは、「闇の谷を彷徨う者には私の導きと守りがある」とウーに銃を渡します。
マスターソンさんの扱いは酷い映画なのに、マスターソンさんにはちゃんと良心が残っている(このシーンの前に酒場でタランテラを撃ち殺しているけど)
そしてドリーンは「たとえ彼がコームを持ち帰っても二度と触らないわ」と憤慨。グラントも「ウーがあなたの命令で出て行ったときにこの(パイロットの)仕事はやめました」とヤンに激しく反抗します。
それまでの会話から察するにドリーンは元々サーカスの団員、ヤンは名前から察するに貴族の出身のようなのですが、「玉の輿」としての立場であっても言動に芯のあるドリーンの人物造形には光るものを感じました(いわゆる「ホークス的女性像」かも)
実はウーはアラーニャ博士の手下でマスターソン博士を研究施設に取れ戻すよう指令されており、コームを探すふりをして森に入るとアラーニャ博士と接触。なぜかここで使い捨てられて蜘蛛人間達に襲われ無事死亡。
しかし主人公一行はそのことを知らないので、グラントが森でウーの死体を発見したことを報告するとドリーンはヤンに「あなたが彼を殺したのよ!」と激昂し、大泣きしてグラントの胸に飛び込みます。
ここもエクスプロイテーション映画にありがちなチープな男女描写と切り捨てるには惜しい説得力のあるシーンです。
この映画はシナリオは雑なわりに人物描写は健闘しており、グラントとドリーンの二人も気骨ある男女として描かれているのが加点ポイントです。
このあと主人公一行はアラーニャ博士の研究施設に連れ去られ、そこから2分も経たずにアラーニャ博士によって正気を取り戻したマスターソンさんが即席の爆薬で自分もろとも研究施設を爆破して回想は終了。
救助した人々がグラントの荒唐無稽な話を疑うなか、そのうちの一人メキシコ人のペペだけが真実を理解します。
ラストはザルパ・メサに佇むスパイダーウーマンの生き残りを映して物語は終わります。
冒頭と同じようなぐにゃぐにゃしたナレーションがラストでも聴けるのは神(もう中毒になってる)
劇中執拗なまでにループし続ける不穏なメキシコ風のBGM、冒頭とラストの難解なナレーション、支離滅裂な展開、謎に手堅い人物描写
おかしさが癖になってくる掘り出し物と言っていい一本だと思います
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『月のキャットウーマン』(原題:Cat-Women of the Moon)(1953)
イギリス出身の映像編集者アーサー・ヒルトンが監督を務めたSFホラー映画で、音楽はあのエルマー・バーンスタインが担当。
『メサ〜』で使われた1950年代式の巨大蜘蛛の小道具(大きいが)が再利用されていると知って鑑賞しました。
ちなみにこの大蜘蛛は『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』(原題:Tarantula)(1955)や、この映画をリメイクした『月へのミサイル』(原題:Missile to the Moon)(1958)にも使い回されているらしいです。
この映画はアメリカではカルト映画としての地位を確立しており、『SF大百科事典』では「(不条理だが)史上最も影響力のあるSF映画の一つ」に位置付けられているとのこと。
セットや衣装がありえないほど安っぽいのですが、上映当時は3D映画として公開されていたらしいです。
学芸会のカキワリみたいなセットを3Dで観てどうするというのか
物語はレアード・グレンジャーが船長を務める男性4名、女性1名のクルーを乗せた人類初の月面探索ロケットの船内から始まります。
・宇宙船の船室がどう見ても事務室(椅子は事務用のデスクチェアで、事務用のロッカーもある)
・船内に何故か原子炉があり、そこで起きた火事を消化器で鎮火する
・月を探索中に酸素があることに気付き、全員で宇宙服を脱ぎ出す
という疑似科学ですらない非科学的描写が続いたのち、一行はキャットウーマン集団(レオタードのすがた)と接触。
キャットウーマンたちはクルーをもてなすが、彼女たちの狙いはテレパシーを用いて乗組員の航海士ヘレンを仲間に取り込み、宇宙船を奪取して地球を征服することだった!
エクスプロイテーション映画らしく女性キャストのダンスシーンや恋愛描写が完備されており、キャットウーマンに操られたヘレンが恋人であるレアード以外のクルーと一夜を共にするNTR展開もあります。
興奮できないNTR、いらね〜(本音)
本作の数少ないホラーシーンとして、キャットウーマンたちと接触する直前に巨大蜘蛛がクルーを襲うシーンがあります(天井から吊られた蜘蛛が落ちてくるだけ)
ここで『メサ〜』ではよくわからなかった巨大蜘蛛のサイズ感をようやく確認できたのですが、想像していた数倍は大きく思わず感嘆しました。とにかくデカい。
全長3m以上はあろうかという大きさで、動きはチープでも「大きさ」だけで圧倒的な迫力と不気味さを放っていて素晴らしい
フサフサの毛やつぶらな瞳など、大画面に映っても不快感のない造形なのも好感が持てます(対極:『蜘蛛男の恐怖』の不正咬合の蜘蛛)
こんな大きな蜘蛛だったのに『メサ〜』ではサイズ感がまったく伝わってなかったの、撮り方を相当ミスしてるとしか思えない
この映画単体で勧める理由はあまりないですが、『メサ〜』では把握できなかった巨大蜘蛛のサイズ感が確認できる、アメリカの映画の歴史を押さえられる、『アメリカン・パロディ・シアター』(1987)がより楽しめるという点において鑑賞して損はないと思います
そもそも『アメリカン・パロディ・シアター』を予習して挑む人間は理由なくてもこの映画観そうだけど
リメイク版の『月へのミサイル』(原題:Missile to the Moon)(1958)も気になるけど画像検索したらちゃんと荒野でロケしてて感動しました。
でも宇宙船の椅子は事務用のままだった。その描写ってもしやこだわりあるのか?逆に
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